転 男転がし
ミサトは、メイドである自分の立場を、充分に理解していた。
雇い主に気に入られるよう振る舞い、それが出来なければ、捨てられる。
ペットのように飼い慣らされ、しつけをたたき込まれ、主人のお世話をする、奴隷のような存在である。
始めは、主人に従い、だんだんと自分の性癖に染め上げてゆく。
獲物は、挑発され、焦らされ、悶絶ものの快楽を教わり、飢えさせられ、餌付けを施こされて、洗脳されてゆく。
獲物がもし、正気にもどることがあっても、既に立場が逆転し、完全な奴隷にされていることに、逆らえなくなっている。
ミサトは男の性癖を、充分に理解していた。
どんな男も、支配されたいというマゾの資質を持っている。
ミサトに出会った男は、女に弄ばれたいという願望を、潜在的に抱くようになる。
それを上手に刺激してやれば、苦もなく、たやすく堕ちる。
ミサトに堕ちた男は、意のままである。
オモチャのように弄んでやり、ミサトが気に入るよう、しつけをたたき込んで、最後は奴隷に志願させる。
奴隷に不要なものは、全部差しださせる。
ミサトの目的は、支配して奪うことだが、そこまでに至る過程が楽しくてしょうがない。
特に今回の獲物は若い。
どこまで堕ちるか、若いだけに、楽しませてくれるだろうと、期待していた。
おしぼりを保温器から二、三枚取り出すと、かいがいしく浩一を拭ってやる。
何も言わず、ぐったりしている浩一は、メイドのなすがままだった。
水たまりをふき取りにかかったところで、メイドはハッと、頭を起こした。
目を半眼にして、何かに耳を澄ましているように首を傾げた。
浩一がその表情を覗き込もうとすると、
スッ、と目を開き、正面から浩一の顔を覗き込んだ。
「二人がこちらに来るわ」
そう一言つぶやくと、浩一の表情にも緊張が走った。
「はやく、ズボンを履きなさい、そこにいるのよ」
浩一にはなにも聞こえなかった。メイドの聴覚は特別で、浩一に聞こえない足音を察知したのだろうか。
あとは自分でやりなさい。と、おしぼりと、ナプキンも浩一に受け取らせる。
メイドはさっと立ち上がると、、すばやい行動に出た。
テーブルワゴンを引っぱると、浩一のいるテーブルを、入り口から覗いても見えないように、隠してしまう。
しかし、この、床に一面に拡がった精液をなんと誤魔化せばいいのか、そして、この匂い。
改めて、浩一は自分の尋常でない迸りに疑念を抱いた。
メイドも匂いが気になるようだ。クンクンと鼻を鳴らしている。
換気扇をつかっても、エアコンを使っているダイニングは密室で、匂いがこもりやすい。
今更、窓を開けたところで、匂いは廊下に拡がるだろう。
浩一の耳にも、廊下をこちらに向かってくる人の気配が、はっきりと感じ取れた。
見られる! 浩一は観念した。
パニックに陥り、動けない浩一を尻目に、メイドは大胆な行動に出た。
コンロにかけてある鍋をとると、床にぶちまけたのだ。
鍋の中のスープが、ザッ、と、音を立てて床を滑ってゆく。
スープは一気に浩一の精液を押し流し、二つは混ざり合った。
驚く浩一を脇目にしながら、「カモフラージュよ」と自信たっぷりにつぶやいた。
「うっかり、鍋を落としたことにするの」
メイドはまだ、鼻をクンクンとさせ、浩一のズボンに顔を寄せた。
「匂うわね」
「動かないのよ」
そう言ってメイドは床にぶちまけられたスープを手に塗りたくると、浩一のズボンになすりつけてゆく。
クンクンと再度匂いを嗅いで、フン、と鼻で笑うと、両手を浩一のズボンで拭い、
「これでいいわ」
満足気にため息を漏らした。
廊下の人の気配は更に近づいてきた。看護婦と医者だ。
さっと、メイドが立ち上がると、
そこにいて。と、指差して、唇を動かした。
すばやく、メイドは入り口に飛んでいった。
「あら!」
「あっ」
浩一はワゴンの影から、スープに写った、食堂の出口に立つ白い影を覗いた。 看護婦と、その後ろは医者のようだ。
食堂の有様を見た看護婦は、驚いた顔で目をまん丸と開いた。
「あの、すみません、お取り込み中でしたか? 」
「鍋を落としてしまって・・・」後は言うまでもない。 床は、一面、スープで水浸しになっているのだから。
「大変・・・すぐに・・・」
看護婦が一歩前に踏み出して、口を開こうとするのを、メイドはピシャリと遮った。
「かまいませんのよ、すぐ片づけますから、」看護婦の前に立ちはだかるようにして、メイドは入り口を譲らなかった。
看護婦はその威圧感に圧倒されたのだろうか、目を伏せ、沈黙した。
「お帰りですか?」
メイドが、立ちつくす看護婦と医者に先を促した。
「あの、む、息子さんは・・・」看護婦が言いにくそうに、おずおずと口を開いた。
「どこかしら」冷たい口調で小さくつぶやく。
「浩一さん!」
メイドが、ここにいない浩一を、呼ぶように大声を出した。
「浩一さん、お医者様がお帰りになりますよ!」
硝子のように堅く張りつめた声でメイドは浩一を呼んだ。
その声はビリビリと壁にあたって響いた。
初めて耳にするメイドの声に、浩一は恐る恐る、ワゴンの影から立ち上がった。
メイドの表情がサッと引きつった。
その表情を見て、浩一はメイドの意図を悟った。
メイドは、浩一がここにいないことにしておきたくて、わざわざ、大声をあげたのだ。
ドジ!
声は使わず、メイドは横目で浩一を卑下した。
浩一は目を伏せるしかなかった。
汚れたズボンで立ちつくす姿は、明らかに何かを感じさせた。
看護婦と医者の、探るような視線が、浩一を落ち着かなくさせた。
メイドが脇に少し向きを変え、浩一にここへ来るよう示した。
浩一は自分が今、どんな顔をしているのか不安で、やや斜め下にうつむき加減になって、入り口の三人に加わった。
看護婦の後ろについていた医者が、初めて口を開き、浩一について尋ねた。
「む、息子さんでらっしゃいますか? 」
「ええ、ええ、旦那様のご愛息の浩一さんですわ」ため息をまじえながら、メイドは投げやりに答えた。
「浩一さん、こちら、お医者様の谷川さん」
年輩の医者は汗をかいており、髪の毛は今し方、起き出してきたかのように乱れていた。頬は紅潮し、目はうつろだった。
再度、三人の自己紹介を行った後、
「旦那様のご容体は・・・」メイドが心配そうに尋ねてみせる。
医者はメイドと目が合うと、うつむき加減になり、
「ど、どうか、ご心配なさらずに」 独り言のように細い声で、
「あ、新しいお薬を、おだ、おだししておきますので、も、もう、夜中に、う、うなされることも、な、ないこととと、思います」
「そうですか、今日はお忙しいところを、来ていただいて、ありがとうございました」
メイドが先へ、先へと、展開を進めてゆく。
年輩の医者は疲れたように息をつぎながら、再び、ミサトと目があうと、丁寧なお辞儀をした。
大丈夫か? この男。浩一は怪訝な目で医者を見ていた。
医者は、この尋常でない空気を感じ取っているのだろうか。
早く話しを切り上げて、ここを離れたいようだった。
話しの途中から、そわそわと落ち着かなく、浩一が応接間へ案内しようとしても、断られた。
廊下を玄関に向かいながら、話しをする形となった。
何を尋ねても、つっかえながら、紋切り型の受け答えを、繰り返すだけで、こんな状況でなければ、浩一も強引に引き留めにかかるところだ。
メイドは医者に同情的で、何も言わず、浩一の後をスタスタとついて回った。
帰り際、エントランスホールの車に向かう際、看護婦は浩一に近づいてきた。
確信があるかのような眼差しで浩一に近づいてくる。
浩一は、一歩退いた。
あまり、近づかれると、只ならぬ匂いに気付かれるかもしれない。
現に看護婦は小鼻をクン、とひくつかせた。
「浩一さん、何か変です」
「ふ、藤崎さん」理由は言えない。
後じさりながら浩一は言葉を接いだ。
「へ、変? な、にが?」
「あの、顔色が少し、良くないかな、って思いまして」
気遣ってくれている。 こんな年下で、美人の看護婦が自分を気遣ってくれている。 今、内に不安を抱えている浩一には、グラリとくる言葉だった。
もしかすると、看護婦は父のことも、何か気付いているのかもしれない。
彼女が助けになるかもしれない。
しかし、この子は看護婦だ。メイドと父のこと、自分のことを、うち明けたところで、看護婦に何ができるだろう。
メイドは違法なことは、何もしていない。
自分も、不覚をとられた。
単なる身内の恥ではないか。
だが、不安だ。自分一人ではどうにもならない状況にはまりつつあるのがわかるのだ。
自分達親子が、メイド一人に翻弄され、変えられつつあるのだ。
メイドは、好きでやっているのではないはずだ。何か目的があるに違いないのだ。
誰に話せばいいのか。
誰でもいいから助けが欲しい。
この魔性の快楽から救い出されたい。
しかし、この看護婦はよそう。
彼女を巻き込むだけだ。
浩一は話すのを断念した。
「き、昨日、ついたばかりで、つ、疲れているのかも」
普通にふるまったつもりが、つかえてしまった。
看護婦は少し、困った顔をすると、そうするのが、当然のように、浩一の頬に手を当ててきた。
夏の気温にも関わらず、看護婦の白い指は、ヒンヤリと冷たく感じられた。
頭の中がスーッと軽くなるような、癒しを感じさせる指だった。
「少し、熱っぽくありません? 」
「き、今日は暑いから!」
浩一の要領を得ない受け答えに、看護婦は、あきらめたように溜息をついた。
「すいません、お疲れでしたら、少し横になった方がいいと思います」心から、心配しているような表情だった。
「エアコンの効きすぎも良くないですよ」
年下のくせにしっかりしている。
「あ、お気遣い、どうも、」浩一は恐縮して、お辞儀をしてしまった。
「あの、これ、疲れた時に私が使っているんですが・・・」
そう言って、看護婦はポケットから一錠のカプセルを取り出し、
浩一に受け取らせた。
「それ、効きますよ」アイドル歌手のようにバッチリとウインクする。ときどきドキリとする表情が彼女の個性として、浩一の琴線に触れた。
「困ったことがあったら、すぐに連絡してくださいね。飛んできますから」
車に乗り込む際、よろり、とつまづいた医者をかいがいしく支えてやると、運転席から軽く一瞥をくれ、車は敷地の外に向かって小さくなった。
孤立無援。
逃げるか、この場にとどまって、抵抗するか。
勝ち目はなさそうだ。
負けたら、それもイイかもしれない。どちらでもよくなったのだ。
浩一は、看護婦のポケットに収まっていた薬を手に握りしめ、自分の頬に触れた看護婦の指を思い起こすように頬を撫でていた。
看護婦のポケットに入っていた薬。
いけないと知りつつも、浩一は看護婦を思って、股間に疼きが走るのを感じた。
もう一度会いたい。浩一は会ってそれ以上を望むように、変えられている事に気付かなかった。
メイドは、そんな浩一の些細な行動の変化をも見逃さず、横目でニヤリとほくそ笑んでいたのだった。