転 男転がし

 アイは自分に念じた。
 (これが正しい)
 きっとうまくいく。
 自分の傷だらけの悲しい過去を思えば、これから陥れる他人に何の罪悪感も感じない。

 しかもミサトに荷担するのは、誰からみても別人なのだ。
 世の中の薄汚い空気に染まった、もう一人の可哀相な自分が勝手にするのだ。
 自分はたくさんつらい思いを味わったのだから、仕方がない。誰だってきっかけがあれば、条件がそろえば、そうなる。 人は常に変化し続けるのだ。
 
 だから自分は他人から奪う理由があり、資格があるのだ。

 わたしは知らない。
 本当のわたしは幸せな家族に囲まれ、何の不安もなく毎日笑って過ごす日がくるまで隠れていよう。

 この仕事が片づいたら、大金持ちになった自分は人生をやり直すのだ。
 きっとうまくいく。
 アイは整形手術を受ける前日、初めて耳以外にピアスをつけた。  
 


 どちらかといえば大人びた暗い陰のぬぐえない面立ちは、最新の技術によって変えられた。
 執刀した整形外科医は、流行のグラビアアイドル、男を惹きつける魅力をパーツごとに吟味して、きわどいバランスで融合させた。

 包帯のとれる日、鏡にうつった自分の顔は、ブドウのようにプックリと膨らみをたたえた唇。
 小ぶりだが、端正に整えられた鼻。
 釣り上がった眉毛。 大きく開いた目。 本来のがっしりとした顎は削られた。

 小さくとがった顎にフックラとした赤ん坊のような頬。

 「あ・・・」
 微笑みかけているような口元に思わず笑みを返すと、鏡がキラキラと曇ってぼやけた。

 アイの意志で微笑みかけている小悪魔がいた。
 これが、本当の姿。 華奢な肩から細い首の上に幼くも挑発適な笑みを浮かべた女。
幼い顔立ちの仮面の下に男を翻弄する小悪魔が舌を出している。

 これがお似合いだ。
 覚悟はしていたが、突然の過去との決別に涙がこみあげてきた。
 やっと自分に出会った気分だ。 
 溢れだした暖かい涙が頬をつたった。 

 「イタッ・・・ 」
 ピリリと皮膚の下で引きつった痛みが走った。
 新しい顔がまだなじんでいないのだ。
 「痛みは最初のうちだけだ。しばらくは我慢するしかない」 
 大工事だった、と医者は誇らしげだった。

 もう、誰も私を知らない。
 これから出会う人が全て。

 「あっ・・・」
 アイは意外な事に気づいた。

 耳が。
 耳だけが、昔のままだった。
 福耳ではない。
 貧乏神の耳だ。安っぽいピアスでいくつ穴を開け直したことだろう。
 福耳なら穴を開けるような愚かなマネはしなかったに違いない。
 
 薄くちいさな耳だ。
 残っているのはキライな耳。

 この仕事が終わったら、耳も変えよう。

 アイはもう一つ決心していた。
 ミサトは、今回の仕事が終わったら分け前と自由をくれると約束した。
 確かに約束を交わしたが、ミサトのほうが、立場は上である。
 約束はミサトから一方的に反古にされる可能性がある。

 ミサトが自分に約束を果たすよう、対等になれる切り札が必要だ。
 いや、対等ではなく、それ以上だ。
 藤崎は鏡をみながら、その近い将来に胸躍らせ、
 新しい耳になった自分に思いを馳せると、妖しくほくそ笑んでいた。
 
 その笑みを感慨深げに眺めていたのはミサトだった。

 この子も笑った。
 その笑みの意味するところをミサトは知るよしもない。

 「顔を変えた女はみなその笑みを浮かべる」
 新しい顔を手に入れ、新たな企みに思いを馳せる。
 陶芸家のような自分の手を撫でながら年輩の医者は教えてくれた。

 ミサトは、そんなことはよく知っていた。
 この医者は腕は確かだ。が、こうやって何でも喋る。

 (よし、口止めは念をイレてやることにしよう、)

 「ねぇ、お礼をさせてもらえないかしら。」ミサトは医者の琴線を指先で弄んだ。
 (アイの練習台にもなってもらいましょうか・・・ )
 金には不自由していないだろう。
 しかし、ミサトはこの医師もまた、自分に弄ばれたいという願望があることを見抜いていた。

 「お金よりももっとイイものがあるの・・・」
 ミサトに転がされた男がどんな運命をたどるのか、この医師は充分承知していた。

 「あなたにお礼がしたいって・・・」数え切れないほどの男を狂わせてきた指が性感帯をクルクルとくすぐってくる。
 医師は冷静に辞退しようと気力を振り絞った。

 「ちょっとだけなら大丈夫よ・・・ 」
 しかし、技巧に長けた妖艶な誘惑にはあらがえなかった。

 「あぶなくなったら、すぐにやめてあげるから・・・」
 拒むのはいつからでもできる。 少しだけなら、そう思わせるところがあった。

 「アイがね、あなたを天国に連れて行ってくれるそうよ・・・ 」
 医師はアイに最高の仕事をした。
 愛着もひとしおだろう。 
 そのアイがお礼をしてくれるのだ。
 医師がアイをみると、目があった。
 アイは妖しい目線で医師を絡め取った。
 獲物だ。
 新しい自分に、ミサトが与えてくれた最初の獲物。

 (手加減なしで・・・)
 その時のこの男の表情が瞼に浮かび、ズキンと芯が疼いた。


 「私たち二人であなたを天国にご案内よ」 
 (実は地獄なんだけどね・・・ )
 (快楽地獄・・・ )
 二人はクスクスほくそ笑んだ。
 何も知らないこの医師が滑稽だった。

 医師の快楽地獄巡りの巡礼が始まった。

 整形のリハビリから復帰したアイも加わった。
 顔を変えたアイは、完全に自分のキャラクターを確立したようだった。
 ミサトに負けない得意技を開花させた。
 二人は、獲物の裏表を快楽の板挟みにした。
 医者は生きたまま、この世の桃源郷を堪能した。

 「フフッ、まだまだ・・・真っ白にしてあげる・・・」
 何物にも代え難い快楽とともに、この男の脳に二人の甘い毒薬が満ちてゆく。

 お礼だとばかりに毎週責め嫐ってやった。
 医師はとりつかれたように二人にのめり込んでいった。
 すべての感覚が二人の注ぐ快楽を感じ取る為だけに絞られてゆく。

 やがて脳が溶け出した。
 毒が次々と細胞の膜を溶かし、汚染は脳内を拡がってゆく。
 良質のタンパク質でできた140億個の細胞が侵され、甘酒のように溶解した細胞膜の汚染が拡がってゆく。

 白く濁った脳毒によって超自然の快楽が爆発適に膨れ上がってゆく。

 脳そのものは物理的な痛みを感じないらしい。

 むしろ脳が、肉体に苦悩と快楽を無尽蔵に垂れ流し始めた。
 医者は呆けたようになって、自分の体内に無制限に分泌される自分の快楽に溺れた。

 脳毒に犯されると、みな極上の快楽と苦悩を延々と漂う。
 このことは、医師が誰かに喋る可能性はないので何の心配もなかった。

 やがて、メスはおろか、スプーンも使えなくなり、その後医者は誰にも会わなくなり、消息を絶った。

 行方は二人しか知らない。
 会わせてもらったとしても、これがあの医師のなれの果てだとは、誰にも信じられない。

 ソレは生ける屍。
 何も話さないし、何も聞けない。

 「ソレ」が知覚するのは、ミサトとアイの二人の声、指先の軌跡、肉の感触。
 体温、そして匂い。

 心も体もそれ以外はまったく認知しない。
 運がよければ、どこかの病室で残りの余生を送る。

 運があれば。 
 しかし、二人はその運さえ残さず奪い尽くしてみせる。
 才能ある医師はミサトに深く関わったが為に、誰にも看取られず、誰にも見つからない場所で命を散らされた。
 アイはミサトの冷徹さにすがすがしさを覚えた。

 浩一の父かかりつけの医者ということで、アイが接近した谷川は、二人目の犠牲者というべきか。

 アイは紹介状を持って病院に入り込んだ。

 アイにかかれば、医者も患者もない。

 みな虜になった。
 谷川は看護婦に手を出すので悪辣で評判であったが、アイにかかれば、赤子も同然だった。

 アイが軽く挑発すれば、先に手を出したのは谷川の方だった。
 先にイったのはアイのほうだ。

 しかし、二回目は二人同時にイッた

 三回目。その後はアイのペースだった。
 谷川はアイにせがんでイかせてもらう。

  アイの毒牙にかかり、サディスティックな責めに翻弄された。
 たちまちマゾに性癖を改造され、奴隷に墜ちた。
 アイのいいなりである。

 浩一の父を病気にしたのも、谷川の処方箋によるが、それはミサトとアイが糸を操っていた。

 足腰の弱った主は意外と世話がやりやすいものだ。
 ミサトはなれた手段を用いて、浩一の父を側近達から孤立させた。

 浩一の父はどんどん悪くなる。くわえて妖しげな媚薬の副作用もあって足腰は弱り、
 性欲だけがギラギラと目に不浄な光沢を与え、今やミサトとのお遊びだけが楽しみだった。
 ミサトが機嫌良く遊んでくれるならなんでも言うとおりにした。
 
 浩一の父は自然死させる。
 そのまえに、ロボットのようになる。
 その時はここにとどまる必要もなくなる。
 電話で指示すればいい。
 
 身よりのない変わり者の大金持ちほどやりやすい。
 あとは、この浩一さえ取り込んでしまえば。
 浩一名義の口座に多額の貯金を見つけた。
 この家族の資産は一切合切、頂くつもりだ。
 それが、ミサトの性分だった。 
 草の木一本すら残さず、奪ってやるのだ。


 ピクピクと快楽に溺れる浩一の父を爪先でつつきながら、
 「旦那様、堪能していただけましたか?」
 浩一の父はだらしなく笑った。

 「息子さんが帰ってくる前にお風呂を済ませてしまいましょう 」
 「もう一度イッテもかまいませんよ・・・ 」
 ミサトが軽く人差し指をシンボルの奥、フグリまでたどってゆくと、浩一の父はビクビクと何度もつかえながら迸った。

 ミサトが浩一の父を風呂からだし、寝室で寝かしつけようとすると、 庭園に車のライトが入ってきた。
 太陽は沈んだのにまだセミがうるさい
 路面をガサガサといわせながら、ベンツは玄関に横付けされた。

 玄関に迎えに出たミサトもさすがに、目を見張った。
 浩一は適当に服をはおらされ、谷川につきそわれて歩いた。
 ゆかた姿で浮かれて歩く藤崎に対し、浩一の病人のような有様は痛々しい。

 浩一と目があい、安心した。
 壊れていない。

 「あ・・・」
 浩一はミサトをみて何かを言おうとした。
 その目は意思のかけらが残っていた。

 この子ったら!
 わずか三、四時間の間にここまで責めるとは。
 
 藤崎はミサトと目があうと、ペロリと舌をだし、おどけてコツンと額を打った。
 ミサトは目で威嚇した。
 かわいい、かわいいと甘やかしすぎたようだ。

 今日はお灸をすえてやるべきだろう。
 ミサトはここしばらく休みを取っていない。
 いいかげん疲れるが、今が肝心なときだ。
 ここで手を休めるべきではない。

 大きく溜息をつくと、

 「藤崎さん!」怒気を叩きつけた。

 「お話があります! 」グイッと顎をしゃくってみせた。
 そう言って藤崎を奥の部屋に呼びつけた。
 

 大急ぎで藤崎は病院の薬袋を浩一の胸にねじ込んだ。
 「あ、これ、お薬出しときます。 抗生物質その他。一日三回食後に、ね?」 
 谷川に目配せすると、ミサトのもとへ小走りに向かった。

 「さ、自分でも歩いてくれ、ささえられん!」

 ミサトに聞かれないように、谷川は大柄な青年に耳打ちした。

 「大事な話がある、部屋はどっちだ? 」
 大事な話、そのイントネーション、声、昼間に電話してきたのは、谷川だったのだ。
 聞き違いだったのだ。 「大事な話」をつたえようとしていたに違いない。
 そして、この谷川もアイ、ミサトの毒牙にかかったのだろう。
 このやつれようが明らかだった。

 足下のおぼつかない浩一を支えながら谷川は部屋に向かった。
 メイドと看護婦の二人は後を追ってはこなかった。

 

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メイド 魔性の快楽地獄